私は1955年生まれの男である。北海道で生まれ、32歳まで北海道で暮らしていた。その後、仕事の関係で、14年間、仙台にいた。定期的に、私は夢を見ていた。それは、北海道にいた時から見ていた。記憶にあるのは、高校の時だ。ひょっとしたら、もっと前からなのかもしれないが、定かではない。その夢は、山から、水があふれてくる夢だ。私は逃げ惑う。その周りを、山からあふれた水は、取り巻きながら攻めてくる。私は逃げる。必死に逃げて、もう駄目だ・・という時に、目が覚める。この夢を、私は、ず~っと見ていた。定期的だが、サイクルがある訳ではなく、たま~に見るという感じだった。両親が高齢ということもあり、介護という理由で、私は転勤を希望した。一度は断られ、その3年後、47歳の時に、北海道に戻ってきた。その9年後、2011年3月11日、忘れもしない、あの大震災があった。私は、56歳だ。北海道も揺れたが、テレビから見る映像とは、雲泥の差だ。色々なニュース、数々の映像が、知っている地名、そして知っている場所だった。私が、もしそのまま仙台にいたなら、死んでいた可能性は、高い。その頃私は、営業の仕事をしていた。建設現場に行く機会も多く、昼休みを過ぎた頃、お邪魔をして打ち合わせをする。そのあと私は、どこかに車を止めて、弁当を食べ、お昼寝をしていた。そんなパターンが多かった。震災が起きた14時46分というと、私はお昼寝をしていた時間だ。津波がきた松林や、あの海岸も、車を止める私のポイントだった。だから、転勤をしていなければ、私はおそらく、この世にはいないだろう。交流はなくなっていたが、あの人は・・あいつは・・と気になる人達はいた。親しくしていた友人には、しばらくして、電話ができた。すごい体験をしたらしい。生活も変わったらしい。そんなことを思いながら暮らしていると、ふと気が付いた。あの夢・・山から水があふれてくる・・あの夢を見なくなった。それは、今も続いている。あれは、なんだったのだろう。危険を、私にず~っと、教えてくれていたのだろうか。こういう経験をすると、生きている・・のではなく、生かされている・・と感じる。生きることに、謙虚になる。若いと判ってもらえないかもしれないが、そう思えると、穏やかになる。そんな生き方は、悪くない。