40代の女性です。私の祖母は94歳で大往生しました。天国に召される数日前に、いつ往生してもおかしくないと田舎に住む親せきから連絡がありました。私も小中学生のころは、毎年両親がお盆に帰省するので一緒に遊びに行っていましたが、大人になるにつれ、足が遠のいており、電話や手紙のやり取りだけになってしまっていたのは今でも後悔しています。どうしてもっと顔を見せに行って喜ばせてあげなかったのかと。危篤の連絡を受けてから、私の母親(祖母からみたら娘)と私の娘・息子と一緒に3世代で田舎の祖母の元へ旅立ちました。祖母は自宅にはおらず、田舎の中堅病院に入院中でしたので、病室を訪ねました。もう、何というか寝ているだけの状態で、点滴のみで、会話もできない、食事もできないといった状態でしたので、周りの親戚たちはいつ息をひきとるのか待っているという言い方が正しいかはわかりませんが、覚悟を決めているといった感じでした。もう会話はできないので、お顔を見て「おばあちゃん、着たよー」と話しかけることしかできません。私の子供は祖母からみたらひ孫にあたり、写真は送っていたものの直接会ったことはありませんでした。親戚の叔母さんが祖母に「〇〇ちゃんも来てくれてるよー」と私の娘が病室に来ていることを話しかけました。そうしたら、もう会話ができないはずの祖母が、私の娘の名前を口にしたのです。祖母は目は閉じていて、開くことはなかったのですが、あぁ、私と私の娘が来ていることを祖母はわかっているのだなぁと思いました。本当に不思議に思いましたが、会いに来るのが臨終間際になってしまって申し訳なく思いつつも、本当に来てよかったと思いました。私の名前ではなく、私の娘の名前というのが、私としてはちょっぴり寂しくも思いました。できれば、自分の名前を呼んで欲しかったと思うのは本当に勝手なのですが。病院の帰り道、田舎の空き地で松ぼっくりがたくさん落ちていました。小さな息子が一生懸命拾い集めていたので、尋ねたら「おばあさんに」「おみやげ」と言うので自分の自宅に持ち帰るのかと思ったら、(自宅に主人の母(祖母)がいます)入院している祖母へのおみやげ(お見舞い)だったのです。今日、初めて会ったほんのいっとき病室を訪ねただけの、寝たきりで会話もしていない祖母へのやさしい気持ちでした。みなさんも自分の大切な人にしばらく会っていないことがありましたら、日々の生活で忙しいとは思いますが、時間を作って顔を見せ合ってくださいね。